紙の歴史からわかる! 昔の日本人のおトイレと生理用品のはなし。
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Lyset Jensen
Hej! リゼットです。
12月16日は「紙の記念日」、ご存知でしたか?1875年に東京の王子にて抄紙会社(のちの製紙会社)が営業運転を開始したことが由来となっています。 それまで輸入に頼っていた洋紙を国産化に切り替えるために、渋沢栄一主導のもと始まりました。トイレットペーパーや生理用品が国産化となったことで、日本人の生活はとても衛生的で豊かになりました。今日はそんな日ごろお世話になっている紙製品について少し学んでみたいと思います!
トイレットペーパーがない時代に活躍したのは「浅草紙」
トイレットペーパーがない時代、ご先祖様たちはどうやっておトイレを済ませていたのでしょうか。
江戸時代には、トイレで紙を使用する習慣がすでにあったと言われています。「浅草紙」といわれる、筆などで書き物をした古紙などを再度漉いて作られたもので、「落とし紙」と呼ばれていました。浅草の雷門の近くで作られていた為、浅草紙という名前が定着したそうですが、当時の浅草の紙漉き職人の技術はすばらしく、ふき心地は下等の紙ながら上々だったという説もあります。それにしても使用した紙を再利用するなんて、当時から日本人は、サスティナブルな生活を送っていたんですね!

昔の女性は生理になったらどうしていたの?
紙があったとはいえ、まだまだ用を足すのも一苦労だった時代、女性はもっと大変だったのではないでしょうか。 江戸時代の生理事情を調べてみると、当時は生理処理用のふんどしというものがあり、女性はそれを身につけ、肌に当たる部分には浅草紙を組み合わせて使用していたと言われています。
ここでも浅草紙!とっても万能ですが、少しゴワゴワしそうな印象ですね…。
明治に入ると婦人衛生雑誌などが女性間で読まれるようになり衛生意識が徐々に高まるそうですが、まだまだこの頃は浅草紙やぼろ布などを使用していたそうです。
1886年(明治19年)頃に「脱脂綿」が登場して生理処理の質はやっと向上していきます。大正時代に入ると脱脂綿とガーゼを組み合わせた生理処理用品などが一般的に。しかし戦時中になると衛生材料用の綿花が手に入らなくなり生理用品の品質は後退します。代用品としてちり紙や、紙綿といわれる経血を吸収しやすく加工した紙を製紙会社が製造して使われたと言われています。戦時中の女性達の苦労は生理事情にまで及んでいたんですね…。 戦後は、脱脂綿が再び主流となり、やっとその煩わしさが改善されていきます。

日本の生理用ナプキンの普及はいつごろ?
現在一般的なナプキンが日本に普及し始めたのは製紙会社が国内製造を始めた1960年台から。
60年前半ではほとんどの女性が脱脂綿を利用していましたが、1960年代後半には90%弱まで利用者拡大したと言われています。普及の理由として、脱脂綿が経血をただ吸収するだけの役割だったことに対し、ナプキンは経血を漏らさず、肌触りも良かったからだと言われています。
その後も製紙会社の生理用品の改良は進み、より吸収力の良いパルプ材を採用したナプキンなども登場してナプキンは、一般家庭で容易に手に入りやすいものと変わっていきました。

歴史背景とリンクする生理用ナプキン
1973年、オイルショックが起こり紙不足となったことがきっかけとなり、製紙会社はナプキンの素材を改良、少ない紙の量でたくさん吸収するスリムタイプのナプキンが誕生します。
その後も吸収力を向上させる品質改善がすすみ、いまのナプキンの形になっていきました。
そして現代では、SDGSなど環境や貧困・女性の暮らしを改善する意識が高まったことで、紙のナプキンから給水ショーツ、月経カップなどにシフトする動きも起きています。
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歴史背景と環境にリンクする生理用ナプキン、将来はさらにより良いものへと進化していってほしいですね!
監修: Lyset Jensen